十数年前、ソーシャルメディアの登場に際し、“ベンダーと顧客の間の不可解なラストワンマイルをつなぐ、CRMを可能にする素晴らしいイノベーションである”と祝杯をあげたものだ。すべてのアナリストは、ソーシャルとCRMにおけるその将来的役割について、肯定的な意見を述べていた。

2004年には、ソーシャルネットワーキング(実際当時は、サービスと呼べるようなものではなかった)と分析が、ベンダーと顧客間の関係構造に密接に関連するようになると予測した論文も世に出ていた。CRMの第一人者であるPaul Greenberg氏は、ソーシャルにおける家内産業的な小規模ビジネスを考案し、他がそれに続いた。

ソーシャルCRMのビジョンを達成するためには、ソーシャルおよび分析以外にも、多様な要素がうまく機能しなければならなかった。たとえば、同時にモバイル革命が進行していたため、機械学習は研究段階を完了し、実装された。また、コード生成は新たに飛躍的な進歩を遂げ、クラウドコンピューティングが主流となった。

こうした複数のことが、同時に起こったのだ。

 

それは、完璧なイノベーションの嵐となり、企業と消費者が利用できる重要な新機能をもたらした。初めてベンダーは、小売業界で最も古くから投げかけられている疑問に対し、妥当な答えを出せるようになった。その疑問とは、マーケティング予算のうち、どれが無駄に支出されてきたものだったかというものである。

そして今、我々は突如としてジレンマに直面することになった。ソーシャルを統合したCRMシステムを信頼することはできるだろうか?それはビジネスにとってエンハンサーとなるのか、それとも障害になるのか?もはや、すでにソーシャルCRMを放棄している事業者も存在している。

 

ライフサイクルの混乱期

ソーシャルを含む混乱期が生じるライフサイクルには、各ステージがある。新しく、素晴らしい出来事には、激しい興奮と高揚感をもたらす。そして、ユーザーがその幸福感の一部が見当違いであることに気づいたとき、幻滅が訪れる。

ここ数年、国外スパイサービスが米国選挙を混乱させようと試みた際に、ソーシャルメディアがその意図通りに機能してしまったという事への幻滅感を、理論的に納得しようとしている。我々は、「悪用することはない」と想定していたベンダーが、悪用者に対して個人情報や行動データへのアクセスを売った事実を知り、幻滅した。

しかし現在、ソーシャルはビジネスやソーシャルネットワーキング媒体としての価値が非常に高いため、消滅したり、縮小したりすることはないだろう。ソーシャルは、あらゆる混乱のライフサイクルの中にある。今必要とされているのは、安定性と善用の継続的なソースとして、ソーシャルを利用する方法である。ソーシャルは、あらゆる破壊的なイノベーションを社会に拡散することによって進歩してきたが、これは容易なことではなかった。

 

昨年には、多くの人々が、何らかの規制を求めた。電話、電気、天然ガス、石油、その他の必須産業に対しては、規制がある。ケーブルテレビ事業者は、オバマ政権が導入した一般通信事業者の中立性に関する規制の影響を受けた。この規則は、現政権によって撤廃されたが、これで終わる問題ではないと考えている。

先週、Facebookの創設者兼CEOであるMark Zuckerberg氏は、ソーシャルのライフサイクルにおいて異例の行動をした。Washington Postへの寄稿において、ソーシャルメディアに対する政府による一定の規制の導入が必要であると提案したのである。特に破壊的なイノベーションがまだその急成長段階にある場合、発明者や起業家は、決して政府の関与を求めることない。それは、異例の発言であった。

だが、「自身の経験から、有害コンテンツや選挙の完全性、プライバシーとデータ可搬性の4つの分野で新たな規制が必要だと考える」とZuckerberg氏は主張している。

同氏の寄稿は当然のことであり、反論することは、子犬や子猫、そしてアップルパイに異議を唱えると同じである。しかし、Zuckerberg氏の主張が十分であるという意味ではない。実際にZuckerberg氏は、Facebookのビジネスモデルといったより困難な課題から議論を切り離そうとしているだけだと、個人的には感じている。

 

自社ビジネスを行った結果

ここ数年、ソーシャルメディアが単純に自社ビジネスを行っているだけで、非常に悪いパフォーマンスをしてしまっている理由の1つは、ベンダーが「自分達は、単に広告を売っているだけだ」と信じていたということである。相場の広告料を支払えば、どんなクライアントのサイト訪問者数も引き上げられた。

ただし、有害コンテンツや選挙の完全性、プライバシーとデータの可搬性に関する規制を導入するだけでは、解決策に近づくことはなく、現状のままである。なぜなら、それぞれの明確な定義がされておらず、規制適用基準が不明瞭であるからだ。

以前に述べたように、真の規制は、上記のあるいは他の未定義の概念を対象として始めるのではなく、それを取り扱う人間を対象とするべきである。まずはユーザーに対し、自らソーシャルメディアを監視できる権限を与えるべきである。社会が配管工や美容師などの専門家を管理している認可制度の規制と同様に、ソーシャルの行き過ぎを防ぐために、2、3段階のユーザー認証ポリシーを提案する。

 

簡潔な1、2、3段階ポリシー

最下位のユーザーレベルは、現在と変わりないだろう。通常通り、ソーシャルメディアにアクセスできるが、1人のユーザーがリーチできる人数には上限が必要となるかもしれない。簡単に計算できるように、その数を1,000人としよう。しかし、多くの人が異議を唱えるだろうから、おそらく2,000人がより適切だろう。

「人間が精神的に安定的な関係を維持できるのは150人が限界である」とする“ダンバー数”に留意してほしい。このダンバー数とは、オックスフォード人類学者であるRobin Dunbar氏によって提唱されたもの。ソーシャルメディアが具現化しているソーシャルネットワーキングの当初のアイデアは、ダンバー数内の友人達と交流することであり、1,000人とつながることは明らかに過剰である。

ソーシャルメディアの第2レベルの使用は、マーケティングキャンペーンや慈善団体などのビジネス、商業で使用する専門家に適用される。このレベルでは、各ユーザーを具体的に識別できることが重要である。たとえば、「Mad Dog」というあだ名のユーザーはもう存在しない。キャンペーンをスタートする場合、また、1,000~2,000を超えるアウトリーチ活動にも、セルフIDおよび登録番号が必要となる。

第2ユーザーレベルもまた、資格を要し、適切な使用方法を理解していることを条件とすべきだろう。道路のどちら側を走行するべきかのテストに合格しなければならない運転免許証と同じだと考えればいい。特に難しいことではなく、安全に運転するために必要なことを知っている、ということを証明すればいいのである。

3番目のユーザーレベルは、おそらくオプションサービスとなり、ソーシャルを作り上げる影の実行者たちで構成されるだろう。彼らは、必ずしもソーシャルメディア会社のために働くわけではなく、その基準を作ることができる小規模な独立したグループかもしれない。

実行者に責任を負わせることは、配管工にもその他のすべての仕事において機能している昔からのやり方である。そして官僚が、有害コンテンツ、選挙の完全性、プライバシーとデータの移植性などの漠然とした事柄を解釈しようとする際の、体系的なボトルネックを解消する。

 

考えられる2つの可能性

明確な認証と責任分担を伴う、2または3段階の自主規制スキームを採用することは、「有害コンテンツ」などの物事を定義する法的な試み以上の効果がある。それでは、Zuckerberg氏の主張の意図は何なのだろう?それは、ビジネスモデルに密接に関連していると考えている。

ビジネスモデルを損なうことなく、長い時間をかけて、有害なコンテンツ、選挙の完全性、プライバシーとデータの可搬性を追求することは可能だ。しかしその効果は、常に不十分だろう。ソーシャルのビジネスモデルには欠陥がある。なぜなら、ソーシャルメディアがプラットフォームになった現在においても、単なるサービスであった時代に設計されたアプローチを採用しビジネスをサポートしているからである。

ソーシャルメディアプラットフォームは、半世紀以上前にファストフードベンダーが辿った同じ道筋を進む必要がある。たとえばMcDonald’sは、街角でのハンバーガー販売からはじまり、フランチャイズ、不動産会社、そして原材料供給事業者となった。(同社は今も店舗を運営しているが、それはコアな事業ではない。)

 

ソーシャルメディアが同じ発展を遂げるためには、多くの会社をプラットフォームとアプリの会社に分割しなければならないことを意味する。そうすることにより、CRMベンダーを含む起業家は、ソーシャルプラットフォームでより自由にビジネスを行うことができるだろう。

実現するには、1つか2つの新しいビジネスモデルをもって投資家と非常に真剣に議論することが必要となる。これは、大きな推進力となる。そして、Zuckerberg氏が、有害コンテンツ、選挙の完全性、プライバシーとデータの可搬性について積極的に議論している大きな理由はここにあると考えられる。歴史的に見ても、規制は導入されるだろう。そして、規制に関する議論が実際に始まったならば、その結果は誰にも予測ができない。

 

※当記事は米国メディア「E-Commerce Times」の4/9公開の記事を翻訳・補足したものです。