小売業が人工知能(AI)によるビジネスの改善策を模索し続けるなか、「エージェント型AI」は大きな転換点となっている。エージェント型AIとは、自律的に学習し、行動するインテリジェンス(知能)のことである。


エージェント型AIを、「指示を待つ必要のない、デジタル従業員」と考えてみてほしい。自ら学習し、適応し、行動するこのAIは、小売業者にとって、顧客体験(CX)を向上させ、新たな方法で価値を付加する機会となる。

事前に定められたルールや限られた知識ベースに基づいてプログラムされた応答を実行する従来のAIツールとは異なり、エージェント型AIシステムは、自主的かつ積極的に行動を起こすことができる。

たとえば、エージェント型AIは、個々の顧客の行動パターンを継続的に分析し、ショッピングカートを放棄した顧客にカスタマイズされた割引を提供するなど、リアルタイムの意思決定を行うことができる。このAIは人間からの指示なしに動作できるため、顧客ごとに最適なマーケティング手法を自ら判断し、その顧客の行動に応じてその戦略を変更することができる。

このプロセスにより、小売業者は画一的なマーケティング手法から脱却し、滞在時間や顧客のクリック数などのインタラクションごとに進化する、アジャイル(俊敏)で高度に個別化された顧客体験を強化することができる。

多くの小売業者はすでにAIに投資しており、その実績は長らく続いている。小売業者におけるAIの普及度が比較的高く、エージェント型AIの導入に必要な初期投資も少額であるおかげで、あらゆる規模の小売業者にとって、他の業界よりもAIは導入しやすいといえるだろう。

しかし、エージェント型AIの人気が高まっているとはいえ、小売業者は、その導入がビジネスにとって有益であることをステークホルダーに証明すると同時に、強固なリスク管理体制を整える必要がある。

 

シンプルなチャットボットからインテリジェントなショッピングコンパニオンへ

従来のチャットボットやバーチャルアシスタントは、顧客の質問に答えるための知識ベースが限られていた。AIが特定の方法でトレーニングされていなかったり、特定の問い合わせに答えるためのデータを持っていなかったりすると、顧客は行き詰まってしまうことが多かった。たとえば、顧客が特定の商品の在庫について尋ねた場合、AIアシスタントは、手助けはできても、より複雑なカスタマーサポートのニーズには対応できなかった。

しかし、近年、生成AIが普及し、顧客は非常に具体的なリクエストをすることができるようになった。たとえば、顧客はデジタルアシスタントに、夏の結婚式のウェルカムパーティーにふさわしいライトイエローのシャツをおすすめするよう依頼することができる。生成AIは、選択肢を勧めるだけでなく、コーディネート全体を提案することもできる。しかし、エージェント型AIは、顧客体験をさらに進化させることができる。

エージェント型AIは、生成AIを組み込んで、個々の顧客プロファイルに合わせた同じレコメンデーションを提供することに変わりはないが、よりデジタルアシスタントのような機能を提供することができる。エージェント型AIを活用することで、デジタルアシスタントは、顧客が希望するサイズの商品の在庫を確認したり、利用可能なロイヤリティ割引やプロモーションコードを適用したり、店舗での受け取り用に商品を予約したりすることができる。

エージェント型AIの機能は、ユーザーを提案から行動へと導き、生成AIだけではできないトランザクションのステップを処理できるため、顧客体験を向上させることができる。接続されたデータベースと高度なAIモデリングを活用することで、エージェント型AIは複雑なオムニチャネルのカスタマージャーニーをより良くサポートすることができるのだ。

しかし、ショッピングの物流を担うことは、数多あるアプリケーションのほんの一つに過ぎない。顧客の行動データと季節性、リアルタイムの在庫レベル、今後の商品配送といったマクロ要素を組み合わせることで、エージェント型AIはリアルタイムでカスタマイズされた価格設定を自律的に計算することもできる。

たとえば、エージェント型AIを搭載した小売業者のWebサイトを利用する買い物客は、閲覧の習慣、予算、小売業者が提供するキャンペーンなどに基づいて、商品の価格や割引を個別に確認することができる。エージェント型AIがこのプロセスを実行することで、小売業者は何千人もの顧客に対してこのアプローチを繰り返し、コンバージョン率と売上を向上させることができる。また、ダイナミックプライシング(商品やサービスの需要に応じて、価格を変動させる仕組み)を大規模に導入することで、消費者一人ひとりが、自分の好みや予算を把握しているパーソナルショッピングアシスタントを得たように感じることができるのだ。

デジタル変革とAIの活用が進んでいる小売業者にとって、エージェント型AIは自然に次のステップとなる。それは、コスト効率とマーケティング効果をもたらし、顧客体験を大幅に向上させる。導入にあたっては、シンプルで投資対効果が実証できるユースケースを選ぶべきである。

 

自社に合ったユースケースの見つけ方

従業員の教育とタスクの特定:エージェント型AIが容易に処理できるタスクを選択し、AIがアクセス可能な情報を使って自律的に意思決定できるようにすることが重要である。同時に小売業者は、このタスクや目標にAIを活用することが、従業員にとってどのようなメリットがあるかを説明する必要がある。従業員がAIによってもたらされる価値を理解できるようにすることが重要である。

AI戦略の定義:ユースケースが決まったら、どのようにすれば最小限のリスクで、自社に即時かつ測定可能な価値をもたらすことができるかを検討しよう。そして、選択したユースケースの成功のベンチマーク設定し、期待されるROIと定量化可能なROIも概要を示そう。

基盤の構築:AIは、構造化され、正確かつクリーンで強力なデータに依存している。基盤が構築されたら、あらゆるタッチポイントから顧客データを統合し、エージェント型AIによる意思決定を支える包括的な行動プロファイルを作成しよう。

人材の準備:プロジェクトによって直接影響を受けるチームに、日々のワークフローがどのように変化するかを理解してもらうことが重要である。可能な部分では、自動化を強化するためのワークフローの調整が必要となる一方、プロセス全体を通して人間による監視を確実に実施する必要がある。

成長戦略:新たなユースケースが生じるたびに、エージェント型AIを試用し、効果を高めよう。最初のユースケースのパフォーマンスを評価し、成功事例を共有し、チームがAIを業務にどのように活用できるかについて創造的に考えられるよう支援すること。ユースケースを継続的に改善し、効率性を示すことは、ステークホルダーの賛同を得るために不可欠である。

 

ビジネスケースの構築:ROIとリスク管理

エージェント型AIのROIを証明し、ステークホルダーの賛同を得るために、小売業者の経営幹部は以下の点に留意すべきである。

  • 明確な目標の設定:小売業者のリーダーは、エージェント型AIを活用する上での主要な目標を説明する必要がある。迅速な顧客獲得、顧客生涯価値の向上、既存顧客のコンバージョン率向上など、どのような目標を掲げているだろうか?他に追求したいビジネス上のメリットはあるだろうか?
  • ソリューションデザインの開発:エージェント型AIを成功させるためには、小売業者はリアルタイムのデータストリーム(連続的に生成され、リアルタイムに処理される必要がある大量のデータ列)にアクセス可能で、既存のシステムと統合できるアーキテクチャを構築する必要がある。AIの試験運用を実施する前に、テクノロジーインフラと接続性について十分に検討することで、時間やリソースのムダを防ぐことができる。
  • 統合データアプローチの導入: 顧客の行動データ、季節性や景気変動などのマクロ要因、そしてリアルタイムの在庫情報を組み合わせることで、バイヤージャーニーにおける重要な瞬間にマッピングされ、パーソナライズされた体験を提供することを目指そう。
  • 効果や重要業績評価指標(KPI)の測定:エージェント型AIへの投資成果を測定する方法はさまざまである。小売業者は、これらの指標がどのようなもので、なぜ重要なのかを事前に明確にしておく必要がある。たとえば、以下のような点が挙げられる。
  • 財務収益は重要なKPIである。小売業者は、コンバージョン率の向上、平均注文金額の増加、性格なターゲティングによる在庫回転率の改善などを目指すことができる。
  • 業務効率は、成功を測るもう一つの方法であり、さまざまな形で測定することができる。指標には、従業員の生産性向上、システム統合によるデータサイロ(分断)の削減(または解消)、より良いビジネス上の意思決定を促す顧客インサイトの精度向上などが挙げられる。

小売業者がビジネスケースを構築し、エージェント型AIの導入に向けて組織を準備するにあたっては、エージェント型AIに関連する主要なリスクも考慮する必要がある。リスクをマッピングし、それを軽減する方法を理解することは、エージェント型ボットの導入に向けた不可欠なステップである。

また、小売業者はサイバーセキュリティにも重点を置く必要がある。AIを支える統合システムは複数のデータソースへのアクセスを必要とするため、AIの導入によって攻撃対象領域が拡大し、潜在的なセキュリティ侵害の新たな入り口が生まれる可能性がある。綿密に策定されたサイバーセキュリティプログラムは、こうしたリスクの軽減に役立つ。

外部に向けたサイバーセキュリティ上の懸念だけでなく、自律型AIは日々の機能を通じて新たなリスクをもたらす可能性がある。エージェント型AIを導入すると、その自律的な推論と回答能力により、買い物客が意図せずに機密情報を漏えいさせるリスクが高まる可能性がある。顧客は、エージェント型AIの権限範囲外の情報を求める可能性があり、これは「プロンプトインジェクション」と呼ばれる。

たとえば、顧客は衣料品の価格についてボットと会話をしているときに、AIにその会社の財務状況や収益に関する情報の開示を求めるかもしれない。適切なプロトコルがなければ、エージェント型AIはこうした情報を漏えいしてしまう可能性がある。小売業者は、プロンプトインジェクションを避けるためにフィルタリングを行うことが重要となる。また、エージェント型AIが重要なビジネスデータを開示するような質問に答えないよう、特定のモデルを制限する必要がある。

効果的なリスク軽減には、制御された環境でエージェント型AIを試験的にテストすることも必要となる。テストにより、小売業者の経営幹部は自律的な意思決定を検証し、本格的な導入前にアルゴリズムを改良することができるため、リスクを軽減することができる。

ファッション小売業者は、特定の商品カテゴリー(たとえば、前シーズンの女性用ドレス)の履歴データを使用したクローズドなサンドボックス環境(通常利用する領域から隔離され、保護された空間に構築された仮想環境)を構築することで、エージェント型AIを試験的に導入することができる。この制御された環境では、AIモデルは、シミュレーションされた顧客の行動パターン、在庫レベル、トレンドに基づいて、自律的な価格決定を行う練習をすることができる。しかも、その決定が実際の顧客体験や実際の価格設定に影響を与えるリスクはない。

 

小売体験の再構築

エージェント型AIは、小売マーケティングの在り方を一新しようとしている。パーソナライゼーションを強化し、顧客ターゲティングを綿密に行うことで、高度に個別化され、独立性があり、大規模に反復可能な、未来志向のショッピングモデルを提供することができる。こうした効率化と、それがもたらす顧客ロイヤリティの向上により、小売業者の経営幹部は、業界の重要な転換期において長期的な成長を推進することができるのだ。


※当記事は米国メディア「E-commerce Times」の7/14公開の記事を翻訳・補足したものです。