XR(AR・MR・VR)がECの顧客体験を根底から覆す日は来るのか
近年のEC市場は、様々な手法を用いて顧客体験を向上させている。中でも特にARやVRといったXR市場の盛り上がりが見られ、スマートフォンを用いた試着から仮想空間上での商品購入など、その用途は様々だ。今回は、そんなXRの現状や活用事例から今後注目すべき最新技術まで幅広く紹介していく。また、それを踏まえた上でXR×ECの今後の可能性と考察、現状でのECとの関連要素についても深堀りしていく。
XR、AR、MR、VRとは何か
まず、今回の本題となる、AR・MR・VRなどのキーワードの定義について触れておく。
XR(Extended Reality / Cross Reality)
XR(Extended Reality / Cross Reality)とは、AR、MR、VRなどの技術の総称として扱われる言葉だ。それらのすべては、現実世界と何かしらのものを組み合わせた概念になる。現時点ではあまり聞き馴染みがないかもしれないが、〇Rという名称で新たなXRが出てくる未来も近いだろう。
次に、AR、MR、VRそれぞれの違いについて、没入感・利便性・認知・価格を主軸に説明していく。
AR(Augmented Reality)
AR(Augmented Reality)とは、現実世界にデジタル情報を付加することで世界を拡張する技術だ。拡張現実とも呼ばれ、Pokemon Goや家具の試し置き、メイクのお試し等に使われているため、比較的に一般的に認知されている技術と言える。現実の拡張ということもあり、没入感というよりは現実との融合という面が強い。現状では主にスマートフォンなどの携帯しやすいデバイスで活用されることから、利便性は総じて高いといえるだろう。また、技術的にも浸透してきているため、他のキーワードよりも遥かに安価に提供が可能だ。
MR(Mixed Reality)
MR(Mixed Reality)はARをさらに発展させた技術で、デバイスを装着することにより複数人で情報を操作できたり、ユーザーの位置や動きに合わせてデジタル情報に直接触れることができる技術だ。複合現実とも呼ばれ、ビジネスだけでなく医療現場でも多く活用されているのが特徴。ARと比べてデジタル情報の操作をグラスを利用して行う点から、没入感は総じて高いといえるだろう。利便性の面では、現状HMD(ヘッドマウントディスプレイ)やグラスが主流となっており、大きさや重量の観点から持ち歩きの面ではまだまだ改善の余地がある。また、HMDを使用して、MRを体験するショート動画が出回るなど、この技術の認知度は徐々に広まってきている段階だ。MRとVRの定義は明確に定められていないため、本記事では現実空間上で使用するハードをMR、完全仮想空間上で利用するサービスをVRと定義する。
VR(Virtual Reality)
VR(Virtual Reality)は、限りなく現実に近い仮想空間上での体験を可能にする技術だ。VRグラスやゴーグルなどがこれに該当し、仮想現実とも呼ばれる。視覚に限らず聴覚や嗅覚などの五感に訴えかけることで、非常に高い没入感を得られるのが特徴だ。Metaの「Meta Quest」やSONYの「PlayStation VR」などが代表的である。完全に仮想空間上で行うことから、他のXR技術と比較しても没入感は極めて高い。また、MRと領域が似ているため、区別が曖昧になることが多い。こちらもMRと同様HMDとグラスが主流であり、利便性の面ではまだまだ厳しい段階にあるだろう。先進事例としては埋め込み型の電脳チップやコンタクトレンズ型のものも見られるが、技術的な課題は多い。
ARとECを掛け合わせてできること
ではまず、ARとECを掛け合わせてどのような顧客体験の向上が可能か見てみよう。
AR×ECでみられる主な特徴は、顧客満足度を上げて返品率を減らすことを目的としたサービス設計になっている点だろう。ECでありがちな返品理由は、届いた商品が自分の想定したものとかけ離れていることだ。現地を訪れなくてもオンライン上で注文できる利便性の裏返しとして存在する、大きな課題のひとつでもある。服や靴のサイズがが想定と違った、何となく思っていた商品と違った、生地感が違った、家具のサイズが微妙に異なり隙間ができてしまった、または単純なサイズミスなどだ。これらの問題を減らすために、足のサイズの事前測定や家具の試し置き、バーチャルメイクなどのサービスがある。
それでは次に、ARとECを掛け合わせた事例を見ていこう。
Nike Fit(Nike)
Nikeが提供する「Nike Fit」は、公式アプリで自分の足を撮影することで足のサイズを測定できるサービスだ。靴の購入においてサイズミスが原因の返品が非常に多い中、ARを用いてサイズミスを減らすことができる。これまではアプリで好きなデザインを探して店舗で試着し購入するというプロセスが当たり前だったが、このアプリの登場により、商品を探すだけでなくサイズ測定から決済までオンライン上で完結できるようになった。オンラインアパレル業界の最大の懸念点であった試着を、効率的かつダイレクトに解消している。試着のハードルが低くなることから、さらなる購入頻度の上昇も見込まれるだろう。なお2024年12月現在、このサービスは終了している。
画像出典:Nikeの公式アプリにARの機能を使い足のサイズが測れる新機能『Nike Fit』が登場
IKEA Place(IKEA)
IKEAが提供する「IKEA Place」は、部屋に家具をARで表示し実寸大で設置できるサービスだ。家具店に行く前の採寸の手間が省け、周囲の雰囲気とその家具の色味が調和しているどうかまで確認することができる。サイズミスによる返品が減るほか、従来はモデルルーム等でしかわからなかった点も解消され、家具の購入ハードルは下がったといえるだろう。また、以前はパンフレット上にしか家具を配置できなかったが、アップデートにより場所を問わず配置が可能になった。
画像出典:IKEA公式Youtubeチャンネル
バーチャルメイク(資生堂)
「バーチャルメイク」は資生堂が提供するARメイクサービスで、様々な化粧品を組み合わせてシミュレーションができる。自分が既に持っている化粧品との相性も試すことが可能で、店舗を訪れる必要がない、自宅で行えるため周りの目が気にならない、手や顔を洗わずに試せるといった魅力的なメリットを持つ。オフラインでできなかったことがオンラインだからこそ可能になり、手持ちの化粧品との相性や他商品との色味の比較、見え方など、購入の最後の一押しとなる点を拡充している。また同社はCES2024に初出展し、動画やナレーションで肌のマッサージ方法の解説や、自身が行う美容法に対する定量的な評価を可能にする「Beauty AR Navigation」をリリースした。こちらはARとAIを掛け合わせたサービスとなっている。
MRとECを掛け合わせてできること
では次に、MRとECを掛け合わせてどのような顧客体験の向上が可能か見てみよう。
MR×ECでみられる主な特徴として、ECが私たちの日常に溶け込む点が挙げられる。これまでスマートフォンやPCが情報収集の手段として用いられていたが、MR機器が登場したことで、生活の中でデバイスをより高い密度で日常的に扱うようになっていく。デバイスを用いた遠隔地とのビデオ通話やAR機能による商品の試用のほか、もちろん従来のような情報収集手段としても使用できる。これらのことが、オンライン上で生活を完結する概念を作り出しているともいえるだろう。他にも複数の製品を眼前のスクリーンに投影して比較するなど、スマートフォンやPCで行っていたことを高い精度で行える点も魅力的だ。
それでは、MRとECを掛け合わせた事例を見ていこう。
Apple Vision Pro(Apple)
「Apple Vision Pro」は、Appleが提供するHMD(ヘッドマウントディスプレイ)だ。これを装着すると空間上に複数のスクリーンが表示され、バーチャルキーボードを操作して編集する。また、スクリーンを自分の視界全体に表示することも可能で、実際の部屋の広さ以上に奥行きのある映像を表示する機能も搭載している。最先端のMR(VR)といっても過言ではなく、目の前に広がる仮想空間と映像のクオリティは圧巻だ。これを用いて、実店舗さながらの顧客体験や若年層向けの新たなリーチ、AR技術を活用したサイズ確認などのサービスが、ECとMRを組み合わせることで可能になっていくだろう。
Meta Quest(Meta)
「Meta Quest」はMetaが提供する、主にゲームで活用されるMRヘッドセットだ。手元のコントローラーで画面を操作し、最新のモデルでは従来の機種よりも音質、画質、装着感などのクオリティが向上している。また、Meta Questでプレイ可能なゲームアプリは現実空間との融合であるMRに特化しており、自分の部屋に様々なキャラクターやギミックが表示されるものもある。これらの技術を活用することで、仮想空間における実店舗さながらの店舗展開や商品の再現など、将来的なECの先駆けとなることが予想される。
画像出典:Meta Quest 3: 複合現実を体験できる新しいVRヘッドセット
VRとECを掛け合わせてできること
最後に、VRとECを掛け合わせてどのような顧客体験の向上が可能か見てみよう。
VR×ECでみられる主な特徴として、仮想空間上における疑似購入体験が挙げられる。実世界の“ショッピング”を仮想空間で再現でき、距離や天気、時間などを気にせず、自分が見たい時に好きなだけ楽しめることが魅力だ。サービスによっては無人のチャットボットなどもあり、不明点をその場で質問できる。グラスやHMDなどを用いたハードでの体験はまだ先になるが、コンテンツとしては今後両者を融合させる準備が着実に進みつつある。
それでは、VRとECを掛け合わせた事例を見ていこう。
REV WORLDS(三越伊勢丹)
「REV WORLDS」は、三越伊勢丹が提供するVRECプラットフォームだ。同社のイオンモールの仮想店舗やバーチャルファッションショーのイベントのほか神社なども存在しており、まさに仮想世界といえるだろう。ECが積極的に行われているのが特徴で、手元のスマートフォンで自分のアバターを作成し、仮想世界を手軽に体験できる。実店舗に行く前の下見のほか、そのままオンラインストアに移行して購入することも可能だ。実際のイベントとの連動も強みで、伊勢丹グループで年に一度開催されるチョコレートの祭典サロン・デュ・ショコラとのオンラインでのコラボが行われ、限定のアバター衣装やゲームを展開したほか、店舗の装飾もチョコレート仕様になった。
画像出典:メタバースなのに行列?三越伊勢丹「REV WORLDS」に見る、アナログ的な体験の価値
METAPA(凸版印刷)
「METAPA」は凸版印刷が提供する、VR上でのEC体験が可能なメタバースプラットフォームだ。印刷のイメージが強い方もいるかもしれないが、メタバース領域への投資は非常に積極的に行われている。METAPAでは複数の店舗を周遊できるほか、AR機能を使って商品を表示することも可能だ。店舗にいるアバター店員はチャットボットになっており、自動対応が可能になっている。現在はソフトバンク、KOKUYO、桃太郎JEANS、住友不動産など、様々な業界が“メタパ店”として出店している。
XRはECの顧客体験をどのように変えていく可能性があるのか
ここまで事例を見てきたが、このXRはEC業界の顧客体験をどのように変えていく可能性があるのだろうか。これまでのECにおけるXR活用や、今現在の主流なテクノロジートレンド、そして今後注目されるであろう分野等について、考えていく。
これまでのECにおけるXR活用
これまでのEC業界におけるXR導入は、ARがほとんどで、業界全体の導入状況を見てもARからMR/VRへの過渡期にあったといえる。EC業界におけるAR活用は、「NIKE Fit」や「IKEA Place」などが導入された時期から大きな進展はなく、用途も限定的だ。かねてからEC業界のボトルネックであった試着や試し置き、試用などをARで解決するサービスが中心で、初めてAR技術が導入された当時は非常に画期的であった。ユーザー視点で見ても十分に普及した段階ではあるものの、ARを活用した真新しいサービスは特に現れていない。そこでARから一歩進んだ新たなステージとして、VRやメタバースに目をつけた企業が現れるようになった。
現在のECにおけるXR活用
今のXR活用において、注目したいのが、少し前にはなるが今年1月に行われたCES2024だ。CESは毎年1月にラスベガスで開かれる世界最大の最新テクノロジーの祭典で、今後注目されるであろうデバイスやサービスが一挙に紹介される。今年は特にVRグラスやHMD(ヘッドマウントディスプレイ)の出展が多く見られた。
これらのデバイスは、以前よりも高いグラフィック精度と没入感の向上により、非常に高いレベルで現実との融合(MR)と仮想空間の再現(VR)を成功させた。特に注目すべきは、Appleの提供するHMD「Apple Vision Pro」である。まるで湖畔にいるかのような映像と音、そして操作可能な架空のスクリーンからも、技術力の高さがうかがえるだろう。税込599,800円と非常に高額だが、最先端テクノロジーを結集したデバイスとして多くのユーザーが期待している。ただし外付けのバッテリーを含めて約1kgもあり、日常的に持ち歩いて使用することはまだ難しい。そのため、利便性と価格の2点では懸念が残っている。長時間の使用も難しく、それならPCやスマートフォンで代替するというユーザーも多いだろう。価格面と合わせ、今後の技術革新に期待したいところだ。
このようなハード面の課題がある一方で、コンテンツは着々と進化を遂げている。特にメタバース領域では各社が続々とECに乗り出しており、ライブイベントや商品展示、ユーザー同士の交流など様々なコンテンツが登場している。商品の閲覧、説明、購入ができるECサイトとしても実際に機能しており、商品紹介を受けながらその場で購入することも可能だ。ゲーム業界での盛り上がりも凄まじく、Epic Gamesが提供するフォートナイトの仮想世界構築では、利益の40%を貢献度に応じてユーザーに提供することが2023年3月に発表された。業界全体が仮想世界への技術革新を推し進めていることがわかる一例である。
これまで架空のものとして映画などで描かれていた仮想空間は、このようなビジネスモデルの変化を背景に、ECやそれ以外の領域でも主流となる未来が近づいてきている。ECプラットフォーム上に構えた店舗にユーザーが来店し商品を見てもらうという従来の形から、これまでとは大きく異なるVRやメタバース、新たなXRを活用した顧客体験などが、今後当たり前になる日も近いのではないだろうか。
画像出典:CES – The Most Powerful Event in the World
今後のECにおけるXR活用の可能性
このようなXRのトレンドの流れの中で、今後、EC業界ではどのような活用がされていくのだろうか。XRは現在も様々な技術が開発されており、そのジャンルや種類は幅広い。ECビジネスにおける活用法も様々であるため、いくつかのジャンルに分けてそれぞれの技術をECの各領域にあてはめていく形で見ていこう。
フルダイブ型
フルダイブとは、五感の全てを別の空間で完全に再現することを指す。「ソードアートオンライン」や「マトリックス」などでも使われた技術の総称で、完全仮想世界とも呼ばれる。このフルダイブ技術をECで応用すると、将来的には買い物を仮想空間だけで完結させることが可能になると思われる。もしこれが実現すれば、実店舗にかかる移動距離や時間などのコスト、商品の実物とのギャップを減らすことが可能になり、結果的にECの課題のひとつである返品率の低減にもつながる。もしかすると、これまでの試着や会計だけでなく、ECという概念すら変えてしまうかもしれない。技術的な面で実現は少し先になりそうだが、そういった未来が訪れる可能性は十分にあるだろう。
スマートコンタクトレンズ型
スマートコンタクトレンズとは、コンタクトを装着することで眼前にスクリーンが表示され、目線などでそれらを操作する技術のことだ。市場にはSONYやサムスン、Googleなどが参入しており、現在も開発が進められている。
この技術をECで活用する場合、装着者の健康状態や購入データ、挙動を正確に把握し、AIなどで質の高い提案が可能になると思われる。現在は利用者の購入履歴や閲覧履歴、検索履歴などを元に広告やおすすめ商品が表示されるが、それらに加えて商品を閲覧している際の心拍数や目線の動き、瞳孔の開き具合など無意識の動作も分析することで、最適な提案が可能になるかもしれない。これらは意識して行うのではなく反射的な動作も多いので、顧客の心理を把握するために非常に有用な情報となるだろう。
加えてスマートコンタクトレンズは目に直接装着するため健康状況の把握にも適しており、ヘルスケア領域における精度の高い提案が可能になるといわれている。例えば毛細血管から入手した血液のデータを元に不足している栄養素を分析し、それを補う商品を提案するなどだ。これは消費者にとって、必要のない商品を買わずに済むことにもつながる。身体に直接デバイスを入れ込むことに対しては抵抗も大きいが、数十年後には当たり前になっているのかもしれない。
仮想空間型
仮想空間には様々なものがあるが、本記事ではREV WORLDSのような「仮想世界の中でECを行うこと」と定義する。この分野が発展していくことで、将来的には自分のアバターで試着や試用をするほか、第三者の視点から自分を俯瞰するような体験も可能になると思われる。現在のアバターは現実の再現というよりキャラクターとしての側面が強いが、より現実に近い姿を再現できれば、ECにおいて自分の分身としての利用価値が大きく高まるはずだ。試着や試用をしていても、実際に使ってみると想定していたものと違うという現象は、ECに限らず実店舗でも起こりうる。その点を踏まえても、手軽にこういった機能を利用して正確な情報を活用できることは、ECにおける顧客満足度やリピート率の向上にもつながっていくだろう。
加えてユーザーが使用した実例が増えれば増えるほど、口コミやレビューの信憑性も確実に向上するはずだ。プライバシーの問題は当然あるが、例えば個人的なデータや写真は自分のみが見られるモニターで使用するなどの方法で、購入のハードルを一段下げられるのではないだろうか。
急速な技術発展がECにもたらす未来
現在のECにおける顧客体験向上は、ARからVR、メタバースなど様々なXR技術が活用され、日々進化を続けている。かつてARで家具を部屋に設置できるサービスがリリースされた際は、利便性に優れた画期的な技術として注目を集めたが、今となってはアパレル業界などにも広まり、真新しい技術とはいえなくなった。ARに次ぐメタバースやHMDなど新たな技術が続々と登場し、メタバース空間でのEC展開も始まっている。技術開発のスピードは非常に早いため、常にアンテナを張って最新のテクノロジーを把握し、いかにビジネスに組み込むかを意識することが重要だ。必要に応じて国内だけでなく海外の事例も参考にすることで、競合を一歩出し抜くヒントが得られるかもしれない。
かつては30年後にようやく実現すると思っていた技術も、今や指数関数的な速度で開発され、続々と実装されている。映画の中の世界で終わることなく日常生活に溶け込むことも、そう遠い未来の話ではないだろう。時代の移り変わりに合わせて私たちの意識もアップデートし、進歩する技術を常に活用していくことは、これからのECにおいても非常に重要になってくる。ECという概念すら変えてしまうかもしれない新たな技術に、今後も刮目していく必要がありそうだ。